そよ風 note
姿勢と筋膜
肩こりや腰痛をはじめ慢性的な痛みでお困りの方は、① のような(顎を引いて胸を張った)姿勢を取るのがキツくなってきます。
気がつくと、② のような(頭・顎が前に出た前傾)姿勢になっています。
時には ② のような姿勢を取っても問題ありませんが、① の姿勢がキツくなってくると少々問題です。
ところで。
スピードスケートの選手が着るウェアは、滑走中の前傾姿勢でジャストフィットするように設計されているため、真っ直ぐに起き上がると突っ張るようにできているそうです。(ゴール後、すぐに頭の部分を脱ぐのは真っ直ぐに起き上がるためだそうです)
慢性的な痛みや猫背のような姿勢がなかなか改善しない一因は、ボディスーツである筋膜が『スピードスケートのウェアのように前傾姿勢を保ってしまっているから』なのです。
身体のあちこちに発生した筋膜の問題を見逃すと、痛みも猫背もいつまでも変わらないばかりか、その姿勢に順応するように股関節や膝関節も軽く曲がった(完全に伸びきらない)状態になっていきます。
このイラストでも、① は ② に比べ、股関節と膝は軽く曲がっています。
このまま放置すると、脚の付け根や膝まわりにも痛みを感じやすくなってしまいます。(その逆も然りです)
※ これまでにもたくさんの『膝(脚)』をみてきましたが、右の膝が軽く曲がっている(完全に伸び切らない)方がとても多いです。(症状や利手に関わらずほぼ右脚なのですが、なぜ右なのかはわかりません)
私たちの身体も、スピードスケートのウェアのように全身が筋膜で繋がっています。
そして。
ウェアの頭の部分を脱ぐと起き上がりやすくなるのと同じように、私たちの身体でも、ある部位の柔軟性や可動性が回復すると、その影響を受けていた離れた部位の状態も改善します。
これが、筋膜の連鎖(繋がり)です。
姿勢は結果であって原因ではありませんが、『どこに筋膜の問題がありますよ』と教えてくれます。
① のような姿勢がキツくない方でも肩こりや腰痛になることはありますが、② の方に比べれば、トリガーポイントの数は少なく施術する範囲も狭いでしょう。
腰痛とレントゲン その①
『単純X線写真は、外来診療で最も用いられている画像である。しかし、単純X線写真は、非特異的腰痛の診断にはほとんど意味がない。現時点での退行性変性の診断における単純X線撮影の位置付けは限定的なもので、感染症疾患などを含む脊椎炎、骨折、あるいは腫瘍のような重篤な病態を否定するためにあると言ってよい。』
菊池臣一編著『腰痛 第2版』より (医学書院 2014)
慢性腰痛のない
しまだのレントゲン
腰は右凸側弯して、骨盤は左右の高さも違います。
腰の骨は変形して、椎間板も狭くなっています。
私の腰椎には退行性変性(背骨の変形や椎間板の狭まり)がみられますが、慢性腰痛ではありません。
このような変性は、腰痛のない人にも普通にみられます。
腰痛の方に限った所見(腰痛の原因)ではありません。
レントゲン撮影は、腰痛の診断にはほとんど意味がありませんが、骨折や癌などの重篤な疾患はないと安心できる大きな意味があります。
以下のような重篤な疾患を示唆する症状が1つでもある時は、レントゲン撮影が必要です。
すぐに病院を受診してください。
・外傷後に発生した激しい腰痛(高所からの落下、尻餅など)
・夜間や横になっていても続く激しい腰痛
・ステロイドの服用者、癌の病歴
・原因不明の体重減少
・高い発熱(38℃以上)
・血尿
以下はごく稀です。この症状は「痛み」ではなく「神経の麻痺」です。
・閉尿、便失禁
・歩行困難、お尻(肛門)周りの麻痺
腰痛とレントゲン その②
『痛い人、痛くない人、1000人のレントゲン写真を撮って専門医に見せたとしても、この人には痛みがある、この人にはない、ということはわかりません。』
北原雅樹著『日本の腰痛 誤診確率80%』より (集英社インターナショナル 2018)
人それぞれの腰椎
老若男女、人それぞれの腰椎が写っています。
この中には、腰痛の方も腰痛ではない方もいますが、どなたが腰痛なのかは(ご本人と私以外)誰にもわかりません。
*圧迫骨折の方もいますが、陳旧性の(古い)もので痛みはありません。
この写真を専門医に見てもらっても、この中で誰が腰痛なのかはわからないのです。
椎間板ヘルニアとMRI
『MRIの出現により、脊椎の異常診断能力は向上した。只、無症候例に高頻度な形態学的異常も少なくないことも明らかになった。最近では腰痛出現後に撮影されたMRI所見が、腰痛を説明するような新たな所見である可能性は低いことが指摘されている。』
菊池臣一編著『腰痛 第2版』より (医学書院 2014)
『椎間板ヘルニアが画像で認められても、それが必ずしも痛みを起こしているわけではないことが明らかになってきているのです。』
菊池臣一著『腰痛のナゼとナゾ』より (メディカルトリビューン 2011)
『私は巨大なヘルニアを持っていますが、腰痛とは無縁の生活を送っているのです。私だけ特別に腰痛を起こさないわけではありません。』
菊池臣一著『腰痛のナゼとナゾ』より (メディカルトリビューン 2011)
慢性腰痛も脚のしびれもない
しまだのMRI
私もヘルニアを持っていますが、慢性腰痛ではありません。
レントゲン同様、専門医にこの画像を見せても、腰痛と脚のしびれの有無はわかりません。
For many years now, MRI scans have been the ultimate in futuristic medicine. But while these machines are miraculous in some ways, they can be worse than useless for diagnosing low back pain.
「MRIは未来の医療と言われて久しい。この機械はある意味では奇跡的なものですが、腰痛の診断には役に立たないこともあります。」
Many people with no pain have all kinds of things “wrong” with their backs, and vice versa. Many problems revealed by scans that seem like “obvious” problems are not.And so the diagnosis and treatment often goes spinning off in the wrong direction.
「痛みのない人の中には、脊椎に様々な問題を抱えている人が多く、その逆もまた然りです。スキャンによって明らかになったことの多くは、一見「明らかな」問題のように見えますが、そうではありません。そのため、診断や治療が間違った方向に空回りしてしまうことが多いのです。」
Fifty-six patients with uncomplicated lumbar disc prolapse were carefully assessed, finding almost no correlation at all between symptoms and the size and position of the bulge.
「合併症のない腰椎椎間板脱出(ヘルニア)の患者56人を注意深く評価したところ、症状と膨隆の大きさや位置との間にほとんど相関関係は見られませんでした。」
There is no direct correlation between the size or position of the disc prolapse and a patient's symptoms. The symptoms experienced by patients should be the primary concern in deciding to perform discectomy.
「椎間板脱出(ヘルニア)の大きさや位置と患者の症状には直接的な相関関係はありません。椎間板摘出術を行うかどうかは、患者が経験する症状を第一に考えるべきです。」
心の痛みは本当に痛む
痛みとネガティブな感情は、深く絡み合っています。
私たちは、悲しいことや辛いこと(家族や仲間や恋人からの拒絶、別れなど)があった時、『心が痛む(傷ついた・折れた)』などと表現します。
近年、脳内の活動をオンライン(f MRI)で解析することができるようになり、痛みと感情の関係(身体的な痛みと心の痛みのつながり)が明らかになりました。
たとえば、人間関係で人に拒絶された時に傷つきやすい人は、身体的な痛みについても 強く不快と評価する傾向がある そうです。
また、たとえ傷つきやすくない人でも、社会的な苦悩(人間関係の中で苦しみ悩むこと)を経験をすると、身体的な痛みに対する 不快な知覚が増す そうです。
説得力のある事実として、人間関係における拒絶(ゲームのメンバーから外されるといった軽度な排斥でも)と身体的な痛みとは、脳の中の同じ領域 が活性化します。
もっと強力な拒絶を用いた研究では、恋人と別れたばかりの人に元恋人の写真を見せると、脳の中の感情的な痛み領域だけでなく、感覚的な痛み領域も活性化することがわかりました。
Social rejection shares somatosensory representations with physical pain
『社会的拒絶は、身体的な痛みと体性感覚を共有する』
この研究は、2011年にミシガン大学がおこなったもので、NHKのヒューマニエンスという番組「"痛み"それは心の起源」でも紹介されていました。
『心が痛む(傷ついた・折れた)』といった表現は、単なる言葉のあやではなく、現実的な比喩だったのです。
脳にとって『心の痛み』は『身体の痛み』と同じものなのです。